幸福論

 

「幸せ探しの旅にでよう〜♪」

 

的な歌詞ってよく耳にします。

 

昔はあんまり意識していなかったけど、

 

最近疑問を感じるようになりました。

 

 

 

表現を変えると、

 

「幸せを探しにいく」と言うことは

 

「今は私は不幸です」と言っているんですよね。

 

 

 

無いから探すんだけど、

 

どこにあるかは誰も知らない。

 

いや、幸せって人それぞれです。

 

どう考えたって難易度が高すぎます。

 

 

 

そもそも幸せって何ですか?と考えた時、

 

意外と私は具体的なイメージができなかったんですよ。

 

絶対見つからんやん!って落ち込みました(苦笑)

 

 

 

皆さんはどうですかね?

 

 

 

 

お金持ちになる事とか

 

モテモテでみんながチヤホヤしてくれる事とか

 

好きなことや趣味をひたすらやる事ができる時間がある事とか

 

色々ありますよね。

 

 

 

じゃ、金持ちっていくら持ってたら幸せなの?

 

年収はいくらであれば幸せ?

 

承認される事って他力だし、

 

当然、承認されるために何ができる?とか、

 

好きな事もずっとやってたら飽きがくるし、

 

と現実的かつ具体的に考える事って難しいんです。

 

 

 

「幸せになりたい」とか「幸せ探し」って

 

今の「足りない何か」を増強する言葉であって

 

無意識にそう言った言葉に接しているんだなと思います。

 

 

 

どうなるか分からない未来に対する期待が

 

大きすぎるんじゃないでしょうか?

 

そしてくるかも分からない未来に対して

 

抽象的な「幸せ」という言葉は

 

幻想を持たせ共感が得やすいから

 

色々なところで使われているのかなと思います。

 

 

 

それでは、今の「足りない何か」って何でしょうね?

 

お金が足りないとか愛が足りないとか色々あるかも知れませんが、

 

いくら足りないんでしょうか?

 

今現在、生命に危険に晒されていますか?

 

と言う事も含め冷静に考えてみると

 

本当の意味でのリア充って

 

見えてくるんじゃないでしょうか?

 

 

 

というような事を奥さんと

 

ドライブしながら話し合ってみました。

 

喧嘩もするけど、息子もいて、みんな健康で

 

ドライブできている事が楽しいし、笑顔でいれるだけで

 

十分だね。と言う話をしながらも

 

「生活に困らない程度のお金は必要だよねー」

 

と結局お金の話に着地しました(笑)